2016.10.17
岩崎秀雄
SCIENTIST
- PROFILE
- 岩崎秀雄/Hideo Iwasaki
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アーティスト、生命科学研究者。早稲田大学理工学術院電気・情報生命工学科教授。博士(理学)。生命を巡る言説・表現に強い関心を持ち、生命科学の研究室を運営しつつ,生命に関心のあるアーティストやデザイナーが集う生命美学プラットフォームmetaPhorestを2007年より主宰。著書に『<生命>とは何だろうか:表現する生物学,思考する芸術』(講談社2013)、主なアート作品にaPrayer(人工細胞の慰霊,茨城県北芸術祭2016),Culturing <Paper>cut (ICCなど2013),Biogenic Timestamp (アルスエレクトロニカセンター,ICC,2013-),metamorphosisシリーズ(ハバナビエンナーレ,オランダペーパービエンナーレなど)。バクテリアの生物時計の遺伝子群同定、試験管内再構成、形態形成などの研究で文部科学大臣表彰、日本ゲノム微生物学会奨励賞、日本時間生物学会奨励賞など。「細胞を創る」研究会会長(2016年)。
(Photo: 新津保建秀)
アートとサイエンスは、ともに「世界をどう認識し、脳内変換し、表現するか」という点では共通しているだろう。たとえば、「書き手と読み手の理解が完全に一致する」という理想を掲げる、極端な表現行為としてサイエンスを位置づけると、少し見通しがよくなったりする。
しかし、サイエンスでは疑似問題とされてしまうようなことであっても、重大な人文的・芸術的命題は明らかに存在する。科学論文の記述様式では無限にこぼれおちるなにかを別の手法で捉えようとすることも同時に求められねばならない。
だが、安易な「サイエンスとアートの融合」には距離を置きたい。融合とは、しばしばベン図で描く二つの円の僅かな共通部分に留まることに過ぎない。しかし、共有されているかどうかわからない領域が両脇に広大に広がっているからこそ、その境界に直面する価値があるはずだ。
科学と芸術ののっぴきならない境界に居ることは、決して居心地がいいことではないし、輝かしい未来を先取りすることでもない。それでも、リアルタイムに変化し続ける、その不明瞭な境界線の上に立って、足場を双方から揺さぶられ、突き動かされ、時に引き裂かれるような体験は何物にも代えがたい。それをこそ表現することの価値を、ぼくはかたく信じている。